『カウンセラーを訪ねるとき』
ヒューマンコミュニケーションラボL&F 竹前ルリ
人生で問題にぶつかって、気持ちが決まらず、迷ったとき、カウンセラーに相談しようとする人が増えてきました。
問題が起こると人はその原因を探り、それを惹き起こしていると思われる誰かを何とかしようと考えます。相手さえ変わってくれれば問題は解決する筈です。カウンセラーならきっと解ってくれて、解決法を教えてくれるに違いないと信じて、期待に満ちた目で尋ねます。
「どうしたら彼(女)は気付いてくれるでしょう?」
これは相手を変えたいという強い願いの表れですから、「私は魔法使いではないので、ここにいない人を治すわけにはいかないのです」と答えるしかありません。そうすると、「でも原因はあの人が作っているのですよ!」と、私が事態を理解しないのがおかしいというように言い、「私はちゃんとまじめに努力してきたのに、なんで私ばかりがカウンセリングを受けなきゃならないのですか!」と不愉快そうな顔をされる方がときどきあります。
身体のどこかが故障して具合が悪くなると、私たちは病院で病気の原因を見つけてもらい、治療を受けます。カウンセリングはこのような病気の治療と混同され誤解されることが良くあります。「お前の考え方はおかしい、カウンセリングに行って治してこい。」などと言われますが、これはどこか悪い箇所を治して貰うことだと思っての発言です。
けれどもカウンセリングを受けるとは、なにか問題が起こったとき、それを解決したいと願って自分から積極的に行動を始めることなのです。いま何が起こっていて、なぜ問題がこじれているのか、解決するために自分は何をすべきかを考え、誰かに相談しようと自分から動き出すことは、すべての責任を人のせいにして、怒ったり嘆いたりすることとはまったく違います。何をしたら良いのかまだ分からないとしても、解決策を自分から見つけようとして動き出せば、必ずまわりに影響を与え、変化が生じます。大変な問題に立ち向かって乗り越え、すばらしい力を発揮される方に出会えることはカウンセラーの喜びです。
自分だけで問題に取り組むことは簡単ではありません。道に迷ったり、困難にぶつかったり、力が入りすぎ冷静さを失うこともあるでしょう。目標にむかって進んでいるのか、後退しているのかもひとりでは判断できません。
そこで、コーチとかモニターが必要になります。その役をするのがカウンセラーです。問題を見極め、それまでの努力の成果や、相手との関係を理解したりすると同時に、カウンセリングの目標を決め、よりよい解決の道を発見していくのが正しいカウンセリングです。その中で自分自身への気付きが増し、心が成長すれば、もっとすばらしいことでしょう。
ときにはカウンセラーのほうが、うまくコーチできず、堂々めぐりのようなカウンセリングになることも、残念ながら少なくありません。もしそのようなことが解ったら、あなたの気持ちをカウンセラーに伝え、仕切り直しをするか、もし駄目ならもっと助けになるカウンセラーを探すほうが良いでしょう。
もちろん問題によっては、簡単に解決できないこともあります。ごく軽い問題なら一回のカウンセリングで済むこともありますが、たとえば幼児期から、しっかり身につけた自分独自の生き方を変えるとか、複雑で病的な家族関係の改善などという問題には、数年あるいは十年近くかかることもあるかもしれません。また、特別な治療手段によるセラピイが必要な場合もあるかもしれません。
しかしどんな場合でも、カウンセリングによって自分の問題に取り組もうと決意した、その人自身がいつでも主役です。力を奪われ希望を失いかけていた人はもうどこにもいません。人間の限界を受け入れ、それでも意志をもって自分らしく生きようとしている人は、なんと美しく見えることでしょう。
私は、ただプールのふちに立って「右手をもっと大きくかいて」とか「足の蹴りが弱い」とか怒鳴っていただけで、この人が「1000メートル泳ごう」としっかり意志をもって、体力をつかって泳いだからこそゴールできたのだと思い知らされるのです。もちろんメダルはその人のものです。でも、そのようなメダリストとトレーニングの間、一緒に過ごせたことを、私はとても光栄に感じ、うれしく思うのです。